ペンギンはドンキにいた

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

心より、東日本大震災で被災された方々に対し、ご冥福とお見舞いを申し上げます。


ここに来て、急に春真っ盛りの陽気になりました。メディアでは東日本大震災に関わるニュースや記録取り上げられていますが、それ以外にも、「H3ロケット」の打ち上げ失敗やら、桜のあまりに早い開花や、WBC初戦の大谷などの活躍による勝利やら、さまざまな盛りだくさんのニュースが流れています。あっという間に、場面が変わるように、メディアの関心は移ろい、流れていくように見えますが、果たしてそうなのでしょうか?

変わるものと変わらないもののそれぞれをきっちり見失わなようにしたいとお思います。

久しぶりに歩いた、ちょっと離れたまちの様子が様変わりしていることに驚いたり、逆に今も変わらない姿に別の意味で記憶の再生を感じたりしているのです。

最近も、選挙管理委員会の帰りに、中野駅北口のドンキホーテの写真を撮ってきました。

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中野区にドンキがあることをすっかり忘れていたのですが、最近読んだ本で、そういえば中野区にもドンキがあったと思い出しました。

現役の時代には結構買いに行ったりしたことを思い出したのですが、そこで何を買ったのかは全く思い出せません。

それはともかく、読んだ本は『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(谷頭和希)という本です。

なんでドンキにペンギンがいるのか?不思議に思ったので、店舗の外装に取り付けられているというペンギンを見に行ったのです。

これまで気づいたことがなかったペンギンが確かにいました。

なぜペンギンがいるのか?その答えは本を読んでもらうとして、案外深いレヴィ・ストロースやロバートベンチュリーが出てきたりとか、一つのきっかけで、様々な視点からの掘り下げができるものだと感じました。

ラスベガスの建物が道路からの視線を意識したものであると言われてみれば、ドンキも中野通り沿いだしな、とか。発見のある本です。

その後もドンキの前を通ることがあった時、歩行補助のショッピングカートを押しながら、腰の曲がったお婆さんが、買い物のためでしょうね、ドンキの店内に歩いて行くところに遭遇しました。

誰の助けも借りずにゆっくりでしたが店内を歩いていく姿を見て、不思議な思いがしました。

買い物を楽しんでいるんじゃないかと思ったからでした。

ちなみにペンギン堂のペンギンとドンキのペンギンにはなんの関係もありません。