長距離ランナーの孤独、又は、僕が国立市にある商業高校に通ったわけ

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

安倍元首相が亡くなり、参議院選挙が与党の勝利で終わり、新型コロナウイル感染症が第七波を迎え、混沌とした世の中という感じが強くなってきました。

image1.jpeg

さて、久しぶりに太陽が照りつけ、気分も変わるようですが前回の続きです。

中野三中時代の友人の中でも、忘れがたい仲間が何人かいますが、その中でもワタナベ君は、学校以外にはどんな生活をしているのか全く知らなかったし、卒業後の消息も全くわからない、学校だけの付き合いだけど仲はとても良かった。

長距離ランナーの孤独」という映画を見るといつもワタナベ君のことを考えます。映画の原作は「長距離走者の孤独」というのですが、読んだことはありません。

「中野の学習院」と呼ばれていた三中でしたが、事実私の周りの人々は同級生や地元のおじさんおばさんを含めて、桃ニ→三中→西→東大というのが名門コースで、なぜか三中は中野の学習院と言われていたことは、入学してから知ったのです。

しかし、私やシモジは谷戸小学校出身で、そんなことはあまり関心がなかったのです。

事実、三中の同級生は半分はそういう意識で入学したのでしょうが、私の友達はみんな、学区と住まいの関係がそうだからということで、何の意識もなく三中に通っていたのでした。みんないい奴で、楽しい連中で、だけど、どんな境遇のやつなのか、シモジ以外は知りませんでした。

ベビブームとか受験が大変なんて考えたこともなく本気でやれば何とかなるさという気楽な連中だったのです。

それでも、ワタナベは結構大人で陸上をやっていたのですが、3年生の時大会に出るメンバーをスカウトするために下級生のクラスを回ったことがありましたが、あるクラスで学級委員を呼び出すと、眉間に黒子のある美少女が現れたのでした。後年、「大岡越前」のテレビドラマでお目にかかることになる「望月眞理子」でした。

クラスに走れる奴はいないかと訪ねた結果、何を勘違いしたのか、「望月眞理子さんを守る会」を作ったのがオカマツケンジ君、ワタナベはこの学級委員の美少女をスカウトし、私は、彼女が国立市から通学していることを知って、学校群制度の対象外の国立にある商業高校に進学し、時々は、姉と二人で駅に向かう彼女とすれ違うことがあった高校時代を送ったのです。

この頃はまだオカマツとの不思議な縁を意識していませんでしたが、その日は間近に迫っていたのでした。

*その後、望月眞理子=本名中大路眞理子と判明、追記しました。