台湾のパイナップル

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

朝顔日記

メインの株は順調に育っています。高さが30センチを超えてどんどん茎が伸びて、やがて、蔓を巻き付けるようになると思います。

別の鉢で発芽した朝顔ですが、日当たりが悪く元気が無いので、移植しました。

こちらの方は、蔓の伸び方が遅いような気もしますが、水遣りなどしっかりしながら、見守っていきたいと思いますので、今回はこの方の写真を。

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パイナップルで台湾応援

この頃食後のデザートにパイナップルを食べることが多くなりました。近所のスーパーで買ってくるカットパインですが、実は、台湾産です。もちろんフィリピン産のものも同じ値段で売っていますが、今は台湾産にしています。

これまで、台湾産のパイナップルは、見かけたことがなかったのですが、中国が台湾産のパイナップルを輸入禁止にしたというニュースの少し後ぐらいから、見かけるようになりました。

たまにしか買っていなかったパイナップル(もちろんフィリピン産)ですが、台湾産のものが出回り始めたので、この際、パイナップルで台湾を応援しようということで、意識して食べています。

というのも、中国の人は嫌いじゃないですが、コロナ禍でのマスク情報アプリ開発でのオードリー・タン台湾デジタル発展部長(大臣)の活躍を知ってから、台湾へのシンパシーが深まっていたところに、大国中国が、パイナップルの輸入禁止の措置という、なんでパイナップルなのかという気もして、台湾産パイナップルを食べはじめました。

日本も、パイナップルの輸入拡大で台湾を応援しようという取り組みをしているようで、台湾産パイナップルの輸入量はそれまでの8倍に増えているようです。台湾政府も、輸送費の補助をして後押ししているようです。

ところで、オードリー・タン部長(大臣)といえば、先月半ばにイギリスのデジタル関連省庁を訪問したというニュースがありました。

台湾のウクライナ戦争からの教訓

その時、イギリスの衛星通信企業のワンウェッブ社も訪問してます。

これは、ウクライナ戦争から台湾有事の際の通信基盤の重要性を学習したからに他ならないと思います。

ロシア軍は今回の侵攻作戦を開始すると同時にインターネット通信基盤の切断や中継基地の破壊を行ったと思いますが、これに対して、ウクライナ側は、イーロン・マスク氏の「スターリンク」によって情報戦でも軍事通信でもロシアと戦える通信機能を維持していますし、政府や軍隊だけでなく、国民もまたフェイク情報に惑わされず、家族や友人との連絡も取れるようになっているようです。

台湾が有事に備えた対応策の中でもインタネットへの接続機能を維持するために低・中層衛星通信機能を台湾として準備することが緊急の策として求められているのはウクライナでの状況を学べば、当然でしょう。

現在、台湾は16本の海底ケーブルでインターネットに接続しており、有事の際にはまずこのケーブルが切断されることは目に見えています。それも海底ケーブルは南シナ海に集中しているとか。

オードリー・タンさんが訪問した企業は衛星通信の企業であり、日本のソフトバンクも大株主です。

イーロン・マスク氏の「スペースX」社と台湾当局の軋みが伝えられたりしている中、タンさんの訪問には、いろんなことがうかがわれるような気がしますが、2024年までに衛星通信基盤を整備する台湾の計画はなかなかにハードルが高そうです。

Amazonもこの分野での事業展開を検討しているようで、こちらも2024年が一つの山とされています。

いろいろ考えているうちに、最近、台湾産のパイナップルが店頭でみかけなくなりました。

どうやら中国が禁輸措置を解除したとかで、その影響なのでしょうか?

ウクライナの自衛の戦争について我々の問題として考えつつもパイナップルのことも考えている私について複雑に思えてちょっとどうかなと。

豪雨による災害や熱中症やイギリスのTPP加盟が実現とか、事態は急速に進行しているようです。

 

『朝顔日記』をつけてみる

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

ご無沙汰しましたが、ゆっくり書くことが回復です。

4月の末から5月にかけて、朝顔の種を蒔きました。季語で「朝顔蒔く」を知って、ホームセンターで朝顔の種を買ってきたのです。

袋に10粒程度の種が入っていましたが、書かれているところによれば、気温が25度を超える5月ごろとありましたが、4月の末には夏日が続いたので、第1回は4月末に、第2回は5月にと2回に分けて種を蒔きましたが、5月に蒔いた分の4粒が発芽しました。4月末の分はいまだに発芽しません。書いてある通りで、なるほどと納得です。毎朝水やりをして発育状態を観察している時に、どうせなら「観察日記」をつけてみようかと思い、「朝顔日記」をつけることにしたのです。まるで小学生の夏休みの宿題のようですが、まあ、良いか、ということで始めました。

夏休みの宿題なんていうのは、如何にも昭和の発想、といえますが、私を構成している年代を考えれば、それもある意味当然のことだと言えます。

昭和、平成、令和で出来ている私

自分がどんな時代構成になているかについて考えたことがありますか。

私の場合は、ざっくりというと、昭和が40年間、平成が30年間、そして、令和が5年間です。昭和は、長いだけでなく、幼少期から壮年期の前半まで、どっぷりと使っている時代です。私の基本は「昭和」ということです。ライフスタイルの基本、メンタリティー、戦後昭和のあれこれで、私はできているということです。

最近見た「天然コケッコー」という映画も、昭和の心情で観ちゃいました。面白かったです。

ペンギンはドンキにいた

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

心より、東日本大震災で被災された方々に対し、ご冥福とお見舞いを申し上げます。


ここに来て、急に春真っ盛りの陽気になりました。メディアでは東日本大震災に関わるニュースや記録取り上げられていますが、それ以外にも、「H3ロケット」の打ち上げ失敗やら、桜のあまりに早い開花や、WBC初戦の大谷などの活躍による勝利やら、さまざまな盛りだくさんのニュースが流れています。あっという間に、場面が変わるように、メディアの関心は移ろい、流れていくように見えますが、果たしてそうなのでしょうか?

変わるものと変わらないもののそれぞれをきっちり見失わなようにしたいとお思います。

久しぶりに歩いた、ちょっと離れたまちの様子が様変わりしていることに驚いたり、逆に今も変わらない姿に別の意味で記憶の再生を感じたりしているのです。

最近も、選挙管理委員会の帰りに、中野駅北口のドンキホーテの写真を撮ってきました。

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中野区にドンキがあることをすっかり忘れていたのですが、最近読んだ本で、そういえば中野区にもドンキがあったと思い出しました。

現役の時代には結構買いに行ったりしたことを思い出したのですが、そこで何を買ったのかは全く思い出せません。

それはともかく、読んだ本は『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(谷頭和希)という本です。

なんでドンキにペンギンがいるのか?不思議に思ったので、店舗の外装に取り付けられているというペンギンを見に行ったのです。

これまで気づいたことがなかったペンギンが確かにいました。

なぜペンギンがいるのか?その答えは本を読んでもらうとして、案外深いレヴィ・ストロースやロバートベンチュリーが出てきたりとか、一つのきっかけで、様々な視点からの掘り下げができるものだと感じました。

ラスベガスの建物が道路からの視線を意識したものであると言われてみれば、ドンキも中野通り沿いだしな、とか。発見のある本です。

その後もドンキの前を通ることがあった時、歩行補助のショッピングカートを押しながら、腰の曲がったお婆さんが、買い物のためでしょうね、ドンキの店内に歩いて行くところに遭遇しました。

誰の助けも借りずにゆっくりでしたが店内を歩いていく姿を見て、不思議な思いがしました。

買い物を楽しんでいるんじゃないかと思ったからでした。

ちなみにペンギン堂のペンギンとドンキのペンギンにはなんの関係もありません。

ここからの仕事

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

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今年最初の委員会の後に、新年賀詞交換会に11年ぶりに参加しましたが、乾杯が終わったところで失礼しました。まあ、そういうことです。

ところで、仕事始めの仕事とは、私の場合は何でしょうか?と自問自答します。行政委員会の委員としての責務の他に何が私の仕事になるのか、いつまでも今の行政委員を務めるわけではなく、その先、何が私の仕事になるのか?文字通りのライフワークはわかっているとしてその上で、日々何に取り組んでいくのか?そのことを真剣に考える必要に直面すると思います。それは自分自身の表現でもあるはずです。

三谷清左衛門『残日録』ではありませんが、第三コーナーを回ったこれから、呆けずに、活き活き走り切るために何が私の私たる仕事なのか?あれこれ考えながら今年を始めています。

そして今日から私は後期高齢者というカテゴリーに属することになりました。

どうぞよろしくお願い致します。