ギンガムのシャツのこと

ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。

真夏日になって、空は真っ青です。

 

いろいろあって、心機一転、ご破算で願いましては、と、ブログ出直しの作業を始めたところ、心配して電話をくれたのがカシマ君だった。そこで出直しの第一歩に、カシマ君も少し絡む話から始めることにします。

この季節になると水色のギンガムチェックのシャツを着るようになってからもう二十年はたっていると思います。

中野ブロードウェイにあった「キクマツヤ」で買ったもので、赤とブルーとグリーンの四枚があったんですが、実家に越す時にブルーとグリーンは処分してしまいました。こんなにながもちするとは思いも寄らなかったんですが、これ以外にもキクマツヤには、カジュアルな着るものでは、新宿三越、地下二階の衣料品店とならぶお世話になった店です。

中野ブロードウェイは、できた年に年賀状配達のアルバイトをした場所で、昭和42年の正月、今から54年前のことです。

学生時代は四階にあった喫茶店に入り浸っていましたが、そこで一階に店舗があったワイシャツ屋さん、ブランド名は「モリキ」というのですが、そこの社長さんも喫茶店には良く来ていたと思います。ブロードウェイ商店街の役員も務めたんじゃなかったかと思いますが、喫茶店のハスキーボイスのママの評価も高い紳士だったと記憶しています。シャツのロゴは確かライト兄弟の飛行機のイラストだったと思います。

一枚は僕も買ったかもしれません。

そしてカシマ君ですが、彼の親父さんもワイシャツメーカーの社長さんで、ブロードウェイのマンションに住んでいたこともありますし、すぐ近くの一軒家に暮らしていた時期もありました。僕は一軒家の方にお邪魔したことがありました。近くには質屋があり、テレビを質入れして、親父に怒られたことがありました。

加島君のところのシャツはバタフライマークだったんじゃないかと思いますが、自信はありません。

ワイシャツとのいろんな出会いはそれからもあるのですが、人柄と育ちの良さは、後輩の中ではダントツです。ま、色々あってもめげない骨もあるし。