ペンギン堂の飯島です。意見は私個人のものです。
早朝、外に出ると、お隣の金木犀が香ります。見事な大きさの木で、不思議なことに、花が咲く前は、たくさんのすすめが住んで、鳴き声が賑やかだったのに、花が咲くと、姿も、囀りも聞こえなくなりました。
今日は、台風一過、快晴の天気です。
読書の時間は増えましたか?
コロナ禍で読書ん時間が増えたかといえば、案外、増えていそうで増えていない気がします。これまで本を読んできた人は相変わらず読んでいるでしょうし、読まない人が、にわかに読書好きになるということも考えにくいですからね。
さて、
読書案内、という類の本には、これまでお付き合いのなかったジャンルの本との出会いという期待もあります。案内してくれる人のポジショニングで、この人がどんな本を紹介してくれるのか、という期待感ですね。
いわば、守備範囲を越えた世界の本に巡り会う楽しみでしょう。
そこで、この本はどうでしょうか?
まず、惹かれたのは、「読書家ではないけれど本が好き」、という一句でした。
「本のことを一生懸命書こうとしていたにもかかわらず、自分の暮らしについても結構述べている。当時の価値観と変わってきている部分もあって、自分は昔と全然変わらないと思っていたけど、変わっていく部分もあるのだな、という発見もあった。変わらないのは、相変わらず呑気に暮らしていることと、読書家ではないというところか」。
「読書家でなくとも、本は読む。本は好きだ。〆切のない読書なら最高。でも、〆切があったからこの一冊ができました」。
新たで、なじみの出会い
そして、この本で、意外というか、へえー、という、馴染みの人との新たな出会いというような、出会いがありました(守備範囲を越えないのでしたが、さっき、言ってたことと違ってすいません)。
例えば、横尾忠則『本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んで来た』とか。
この本はやはり、書評なんですが、次回に取り上げたいと思います。
そして、また別に、気になって、選んだ本は、やっぱり自分の関心の世界につながっていたという、ちっとも新世界への旅立ちにならなかったのですが、それはそれとして、その本も、次回に。
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